ノーベル賞を取り損ねた男!鈴木梅太郎とは?
鈴木梅太郎(すずきうめたろう 1874-1943 農芸化学)さんは世界で初めてビタミン(B1)を発見した人物です(1910年)
明治末期まで、脚気(かっけ)の原因はビタミンB1不足だとわかっていませんでしたので、健康被害を訴える人が多かったのです。脚気とは、神経に障害をきたす病気で、徳川家光もこの病気で命を落としたとされています。
関連雑学 → そもそも脚気とは何ですか?
ビタミンB1はノーベル賞級の発見です。
後にオランダの「エイクマン」←(ビタミン発見の道しるべになった人物)とイギリスの「ホプキンス」←(ビタミンが健康維持に必要だと発見した人物)がノーベル生理学・医学賞を受賞しているからです。
日本初のノーベル賞を鈴木梅太郎に与えてもいいじゃないか!と個人的に思うのですが、当時はそんな空気ではなかったようです。
世界中で脚気の研究が進められていたこの時代。 ドイツでは伝染病説を主張、イギリスの主張である栄養問題説と対立していたのです。
一方、日本でもこの問題が激化しており、
海軍 = 栄養問題説を主張! 陸軍 = 伝染病説を主張!
このような構図になっていました。
しかし、海軍の食事を洋食(パンなどの麦)に切り替えてから、脚気の症状が出なくなり、栄養問題説が有力となりました。
1910年、ついに鈴木梅太郎は米のヌカ(精米する時にでる果皮)からビタミンB1を発見! アベリ酸(後にオリザニン)と名付けます。
しかし、世界に論文を発表する際、「新しい栄養素だ」という言葉を訳されなかった為に、オリザニンは世界で認められませんでした。
また、東京帝国大学(東大)医学部でも、脚気は伝染病が原因ではないか?と主張する人が多く、同じ東大出身者である鈴木梅太郎に対しての風当たりは強かったそうです。
その為、東大の医学部長がノーベル賞の候補者を推薦する時、自国の鈴木さんではなく、イギリスのホプキンスさんを推してしまったのです。
このような理由が重なり、鈴木梅太郎さんはノーベル賞を取り損ねてしまったのです。(雑学研究家 安田 泰淳)
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