小泉純一郎さんが総理大臣だった時、
国会では自衛隊派遣について論争が繰り広げられていました。
小泉さん
「義を為すは、毀(そしり)を避け誉(ほまれ)に就くに非(あら)ず」
意味
人道に進むのは、非難を避けるためではなく、名誉を受けるためではなく、ただただ人間とし当たり前の事をするためである。
小泉さんは墨子の言葉を引用して、自衛隊の派遣を主張していました。
中国の春秋戦国時代とは、紀元前770年から始皇帝が中国を統一した紀元前221年までをいいます。そして、この時代に現れた学者や学派を諸子百家といいます。
諸子(学者) = 孔子 老子 荘子 孟子 荀子 墨子 荀子 など
百家(学派) = 儒家 道家 墨家 名家 法家
今回のテーマである墨子(紀元前450~390頃)は墨家という学派を立ち上げた人物です。
墨子の考えは主に二つ存在します。
〇非攻
墨子
「一人を殺せば犯罪者だが、百万人殺した将軍は英雄だ!というのはいかがなものか?」 と疑問を呈しています。
墨子は非戦論を展開した人物です。
「政治は人々の幸せの為に存在するが、戦争は幸せを奪うだけだ!」
と訴えました。ただし、攻め込まれた時の自衛的戦いは否定せず、助けを求める城があれば防衛に参加し、アドバイスをしていたのです。
「楚」という国は「宋」という国を攻め入ろうとしていました。この話を聞いた墨子は慌てて楚に向かうのです。 そして、楚王の部下である公輸盤にいうのです。
楚に余っているものは土地で、足りないものは人である。足りないものを殺して、余っている土地を奪うのは智(知恵)とはいえない。罪のない宋を攻めるのは仁(愛)でもありません。
墨子の考えを聞き入れた楚王は宋を攻めない事を約束したそうです。(墨子は300人ほどの仲間を宋に派遣し、楚の攻撃に備えていました)
〇兼愛
兼愛の兼とは全てという意味です。
墨子
「孔子の唱える仁(愛)は、家族など限定的なものだが、俺は全ての人を平等に愛する事が大切だと思うんだ」と唱えています。
秦が中国を統一されると、文献から墨家の名前が記載されなくなりました。始皇帝の思想統制だと考えられています。
歴史から姿を消した墨家。
しかし、キリストが生まれる前から、博愛精神(隣人愛)に似た思想を説いている事から、現在では少しずつ墨子を研究する思想家が増えているのだそうです。 (雑学研究家 安田 泰淳)
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