現在、地球が太陽をまわる周期をもとにして作られた、「太陽暦」という暦法を用いています。1年が365日なのは地球が太陽の周りを365.24日かけて一周するからです☆
しかし、明治5年までは太陰太陽暦という暦法を用いていました。
月の満ち欠けをもとにして作られた太陰暦。
しかし、月の満ち欠け周期は29.53日ですので、1年を12ヶ月とした場合、354日になってしまいます。
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そこで、3年に1回だけ一ヶ月を加える事で誤差を調整していたのです。これを太陰太陽暦といいます。太陰太陽暦は六世紀に中国から伝わり、7世紀から導入されておりました。
そして、明治5年12月3日から太陰太陽暦から太陽暦に移行することとなるのです。つまり、明治5年12月3日は明治6年1月1日なので、明治5年12月は2日しか存在しなかった月となるのです。
何故、太陽暦に変更したのでしょうか?
明治政府
「欧米に追いつき、そして追い越す!」というスローガンを掲げており、国際的に太陽暦を採用している国が多かったので、他国の間で暦のズレを改善するために太陽暦にしたのです。
しかし本音は別にありました。
旧暦の明治6年は3年に1度の閏年!財政が厳しかった政府は1ヶ月多くお給料を支払うのをためらったために、大隈重信らが太陽暦の導入に踏み切ったとされています。
著者出川 雄一(ツイッター) 障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。
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