江戸時代から第二次世界大戦までの間、
当時は丁稚(でっち)という商店主育成制度がありました。
これは10歳前後の子供さんが商売を営んでいる家に住み込み、雑用などをこなすものです。(ここで商売のイロハを学ぶのです)
丁稚制度は衣食住の保障があるものの、基本的にお給料は貰えません。
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しかし、年に二回(お盆と正月)実家へ帰ってもいい事となっており、お土産を持参するために、お小遣いが支給されたのだそうです。
ボーナスの制度は、
このお小遣いが発展したものではないか?とされています。
日本で初めてボーナスを支給したのは三菱商会(三菱商事)だといわれています。明治初頭、三菱はアメリカやイギリスの海運業者と熾烈な競争を繰り広げていました。この為、リストラをしていたそうです。
しかし、明治政府は三菱を全面支援!
後に海外の業者が撤退すると、海運業を三菱が独占する事となり莫大な利益が転がり込んできたのです。
そこで創業者の岩崎弥太郎は、
利益を社員に分配するために歳末賞与という名目で、お給料の一か月分(約五円)を支給したと伝えられています。
著者出川 雄一(ツイッター) 障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。
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