時は1582年!
出雲国(現在の島根県東部)に出雲阿国(いずもの おくに)という女の子が住んでいました。
彼女は ”ややこ踊り” という少女限定の踊りで一躍人気者になるのですが、年を重ねていった為に、年齢制限によりややこ踊りが踊れなくなってしまうのです。
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そこで、出雲阿国は考えます。
「今度は大人の社会を踊りを用いて表現しよう」
この頃、常識では考えられないような服装や行動をする人たちが出現し、彼らのことを傾き者(かぶきもの)と呼ばれていました。 出雲阿国はこの傾き者と呼ばれている人たちを真似て、世間から人気者になるのでした。
歌舞伎の名前の由来は傾き者からきているのですね♪
そして、歌舞伎踊りの人気にあやかり、出雲阿国を模倣する人たちが現われ・・・ やがて、歌舞伎にはいくつかの流派ができました。
その中の一つが市川流なのです。
市川流の本家にあたるのが市川團十郎家で、「新之助」→「海老蔵」を経て「團十郎」となるのが一般的な流れです。
実は得意芸を18番(オハコ)といいますが、これは七代目市川団十郎が関係していました。 → 18番!オハコと読むのは何故だろう?
著者出川 雄一(ツイッター) 障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。
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