画 キャリーハムハム
1882年、ヘレン・ケラーは一歳の時に「高熱」が原因で、視力と聴力を失いました。しかし、障害を理解してもらおうと、世界中を駆け回り、福祉の向上に全力を尽くした人物です。
資料画像 Helen Keller Foundation から引用
ヘレン・ケラーは1937年に日本を訪れます。
そして、秋田での公演を行う前、秋田犬である「忠犬ハチ公」のお話を聞きました。この時、ヘレンケラーの心が動かされ、後に秋田犬を飼いたいとリクエストするのです。
その犬の名前は「カミカゼ」といいました。このカミカゼが、海を渡った最初の秋田犬として歴史に名を刻むのです。
ヘレン・ケラー曰く、「秋田犬ほどご主人様の気持ちがわかる犬はいない」と大絶賛♪ 「カミカゼ」が亡くなった後も、秋田犬の「ケンザン」をアメリカに呼び寄せています。
盲目の歌手である、スティービー・ワンダーさんも秋田犬を溺愛していたそうで、その忠誠心に心を奪われていたのかもしれません(^^)
さてさて、そんなヘレン・ケラーさんのお話ですが・・・
日本で最初に障がい者に対する法律が制定された身体障害者福祉法(1949年)。 実は、ヘレンケラーさんが来日をした理由の一つが、この法律を制定させる事だったのです。
GHQのマッカーサーなどに、その法律の必要性を訴えており、日本で暮らしている障がい者の自立を切に願っていたのです。
障がい者の自立や社会参画の基本となっているこの法律!網膜剥離の為に失明し、この法律の必要性を訴えていた岩橋武夫さんの呼びかけに応じ、来日したという事です。
盲人でありながら耳も聞こえない。しかし、自分の境遇を与えられた使命と感じ、障がい者を助けたいと切に願ったヘレン・ケラー。
う~ん(´^`。) やっぱり気になったぞ~(ノ^-^)ノ
ヘレン・ケラーって、どんな人物だったのだろう? また、彼女の家庭教師を行っていたサリバン先生ってどんな先生だったんだろう?次のレポートに続きます。
著者 出川 雄一(ツイッター) 障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。
コメント