1937年、ヘレン・ケラーが来日した際、中村久子さん(当時41歳)がお人形(写真)をプレゼントしました。口で作ったお人形です。 「あまりにもみすぼらしいのでお渡しするのを控えたい」 しかし、担当者の説得により、人形をプレゼントする事になりました。 ヘレン・ケラーのおつきの人が、中村さんの状態や人形について説明すると、「私より不幸だけれど、私より偉大な人」とおっしゃったとされています。
エジソンが発明をする中で、大切にしていたことがあったそうです。
それは、過去を調べる事でした。
障がい者の方が働ける、そんな新しい社会を作りたい(。・ω・)ノ という事で、今回は過去の歴史をひもとぎ、見世物小屋で働いていた中村久子さんについて調べてみました。
まずは、中村さんはどうして手足を切断しなければいけなくなってしまったのか?について追及したいと思います。
中村久子さん(1897 - 1968)は岐阜県高山で生まれます。
久子さんは2歳になると、貧しさが原因で凍傷にかかってしまいました。人間の体は、寒いと体温を逃がさないようにと、血管を収縮する作用が備わっています。しかし、長時間にわたり寒い環境に皮膚をさらしてしまうとどうなるか?
血管が収縮している状態が続いているために血液の流れが悪くなり、これが酸素不足などを引き起こし、体の組織が壊れてしまうのです。(寒い時期は十分に気を付けてくださいね)
久子さんは、この凍傷(しもやけ)が原因で突発性脱疽(だっそ)を患ってしまいました。脱疽とは、体の細胞が死んでしまい、これがさらに進んだ状態をいいます。 腐敗菌によりそれが分解されてしまい、皮膚が真っ黒になったり、悪臭を漂わせるのが特徴です。
(ちなみに、凍傷とは低温が原因で生じる皮膚の傷害です)
脱疽は体全体に広がりますので、これを食い止めるためには体を切断するしかありません。久子さんの場合、突発性脱疽にかかっていたので、お医者さんは切断手術をすすめます。しかし、両親がこの手術を躊躇していると・・・
ある時、黒ずんだ手が床に落ちているではありませんか。
「このままでは命まで奪われてしまう!」 あわてて、両手両足の切断手術を決断したのだそうです(3歳) つまり、中村久子さんは両手両足がない女性なのです。
果たして、彼女はどのようにして生き抜くことができたのでしょうか? お母さんはどのような教育を施したのか?また、どんなお仕事をしていたのでしょうか?という事で、次のレポートに続きます。
著者 出川 雄一(ツイッター) 障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。
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