”仏の顔も三度” という言葉をご存知でしょうか?
「どんなに温和な人でも、失礼な事を3回行うと腹を立てますよ。」
という意味です。
しかし、なんで三回なのでしょうか? 四回でもいいのにね~~?
という事で、この言葉のルーツを探ってみました。
仏の顔も三度の ”仏” とは釈迦を指しています。
「え?釈迦が怒ったの?」
「いえいえ!どうやら違うようです」
釈迦は釈迦国で生まれました。そして、釈迦国の隣には、絶大な力のあるコーサラ国が存在します。
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ある時、コーサラ国王は釈迦国のお姫様を嫁として迎えたい!そんな考えを抱きます。しかし、釈迦国はそれを快く思わず、身分の低い女性を姫として送ってしまったのです。
~時が流れ~
弓を学ぶために釈迦国にやってきたコーサラ国の王子!
しかし、身分の低い女性から生まれた事を知ってしまい、周りから差別を受けてしまいます。
王子
「釈迦国のせいで俺は周りから馬鹿にされている・・・ 俺がもし国王になったら釈迦国を滅ぼしてやるんだ!」
その後、この王子は国王になると、「今こそ釈迦国を滅ぼしてやる!」と決意するのです。
一方、出兵した情報を耳にした釈迦は枯れたチーク樹の下に座っていました。
そして、新コーサラ国王はチーク樹にいる釈迦と対面!一礼すると
「何故、枯れた木の下にいるのですか?茂った木々の下にいれば涼むではありませんか?」 と聞くのです。
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すると釈迦はこたえます。
「王よ!枯れ木でも親族の木々の下は涼しいものだ」
「アッ!」 新コーラス王は昔からのいい伝えを思い出します。
「戦の時に僧と出くわしたら迷わず撤退せよ!」と・・・ 新コーラス王は慌てて城に引き返しました。
その後、再び釈迦国を滅ぼすべく出陣するものの、またもやあの場所に釈迦が座っているではありませんか(><) こうして、出陣と撤退を三回繰り返した後・・・・・
四度目の出陣時、釈迦の姿が見当たりません。
「今がチャンスだ!」
と攻め込み、釈迦国は滅ぼされてしまうのです。
因果応報とは過去の悪事が跳ね返ってくる!という意味ですが、釈迦はこの因果応報を受け入れたのではないか?伝えられています。
つまり、仏の顔も三度とは、釈迦が枯れ木の下にいた回数が三回だったという事でした。この話が、いつしか「温和な人でも、失礼な事を3回行うと腹を立てる」という意味に変えられてしまったのだそうです。
著者出川 雄一(ツイッター) 障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。
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