第二次世界大戦が終わると、一斉に子作りを開始し、第一次ベビーブームが訪れます。そして、その子供たちが子供を作り、第二次ベビーブームへとつながります。(1973年)
しかし、この年の秋にオイルショックが起こり、高度経済成長が終わると、長引く不況に突入します。
この1973年は福祉政策にとって大きな転換期を迎えました。
田中総理
「これからは社会保障を充実させなければいけない!景気が良いのでお金もいっぱいある。1973年を福祉元年とし、その税収の一部を福祉政策に充てようではないか!」
具体的には
70歳以上の高齢者の医療費を無料にしたり、受け取れる年金の金額を上げたりしました。
ここで疑問が!
田中角栄さんが福祉政策に舵を切ったのは何故だろう?
1960年、総理大臣に就任した池田勇人さんは次のような事を考えていました。
池田総理
「経済を良くし、一人当たりのお給料を上げていこうではないか!その為には輸出を積極的に行い、貿易で外貨の獲得を目指そう!」
これを所得倍増計画といいました。
この頃、西欧では予算を社会保障費に費やす傾向にありました。しかし、日本は西欧の政策を無視し、経済中心の政策を行っていたのです。
池田勇人さん
「経済政策中心の予算を組み、社会保障政策ではなく雇用対策に専念しようではないか」
この政策が功を奏し、
10パーセントを超える経済成長率を達成しました。
しかし、成長するのは都市部ばかり!
地方と都市部の格差が次第に広がっていくのです。
危機感を募らせた自民党!(選挙に負けてしまう・・・)
そこで、1972年に総理大臣になった田中角栄さんは、好景気で集まった税金を世間にばらまき、公共事業費に充てたり、社会保障費に充てたりして、格差の是正(存在感)を図るのです。
皮肉にも福祉元年を掲げた1973年にオイルショックが起こり、後に税収が減少。社会保障制度の見直しを迫られることになるのです。
福祉研究
田中角栄さんが未だに人気のある理由。
その理由の一つが、大衆に迎合しようとするためのバラマキ(ポピュリズム)にあるのではないかと考えています。
これが、国民の政治に対する依存につながり、古い世代ほど、「現在の日本の景気が悪いのは政治のせいだ!」 このような思考に陥れたのだと思います。
本来、福祉政策はバラマキによる人気取りではなく、自立させるための政策でなければいけません。
その中にあって、福祉元年が叫ばれてから、点字ブロックが普及していったのも事実です。結果として、視覚障がい者の方の社会的自立を後押した事実も見え隠れしています。
依存ではなく自立を。
21世紀の福祉に求められているテーマだと思いました。
著者 出川 雄一(ツイッター) 障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています
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