今日の雑学は
地震学者の今村明恒(1870 - 1948) さんについてです。
今村さんは日本書紀など様々な文献を読み漁り、
過去に存在した2000もの地震からある統計を導き出すのです。
「100年に一度の割合で大きな地震が関東で起きている!」
そこで、当時人気の高かった太陽という雑誌に、自分の思いを読者に訴えたのです。(1905年)
「今後、50年以内に大きな地震が起こる可能性が高い!だから、今のうちに防災対策をしなければいけない。」 今村さんは防災対策の必要性を訴え、具体的な方法などを雑誌に記しました。
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この雑誌の記事が新聞に取り上げられたのですが・・・
地震が起こることのみを強調し、防災対策について触れようとしなかったのです。
やがて、この新聞を読んだ人たちはパニックを起こし、中には外で夜を明かす人まで現われてしまいました。このパニックを沈静化させたのが、今村さんの上司に当たる大森房吉教授です。
大森さん
「東京に大地震は来ないと断言する!今村の言っている事は統計に不備があり、根拠が薄いものだ」と火消しに努めるのです。
すると、パニックを起こした人たちは冷静さを取り戻し、その矛先が今村さんに向かうのです、「今村はほら吹き野郎だ!ほら吹きの今村」と罵られる事になるのです。
信頼を完全に失った今村さん・・・・
しかし、今村さんは自分の信念を貫き通し、今村式強震計を開発!次第に大森さんとの確執が激しくなるのです。
1923年、今村さんの予知どおり、関東大震災が起こります。
オーストラリアにいた大森さんは慌てて日本に戻りますが、脳腫瘍が原因で船の中で倒れ、帰国後に亡くなってしまいます。
亡くなる前、今村に対してこう告げたそうです。
「今度の震災については自分は重大な責任を感じている」
一方、地震を予知した今村さんは講演会の依頼などが殺到し、地震の神様と呼ばれるようになりました。今村さんは大森さんに対し、批判しなかったと伝えられています。
著者出川 雄一(ツイッター) 障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。
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