関東大震災が起こる事を予知していながら、全ての人に防災を訴える事ができなかった今村さん。震災後、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ等を通じ、積極的に防災対策を訴えるのです。
また、「防災対策は小さな子供から身に付けさせなければいけない!」と考え、国に対してあるお話を教科書に掲載するようお願いするのです。
それが ”稲むらの火” というお話です。
昔むかし、一人の老人が高台に住んでいました。
やがて、大きな地震が起こり、海水が沖へ向かっている光景を目の当たりにするのです。
老人は気が付きます!
これは津波が来るぞ・・・
一刻も早く、津波が来る事を皆に知らせなければ・・・
でも、どうしたらいいのだろうか?
そこでこの老人!
「もったいないが、これで村中の命が救えるのなら」と、自分が所有する全ての稲むらに、火をつけてしまうのです。
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村人は驚きます。
「火事だ!今すぐ火を消しに行くぞ~」 と、高台にある老人の家に駆けつけます!
すると、老人は叫ぶのです。
「津波が来るぞーーーーーーーーーーー」
津波が来ている事に気が付いた村人は、この火によって自分が助かった事に気が付き、老人の前でひざをつきました。
↑このようなお話です。
実は稲むらの火にはモデルになった人物が存在します。
醤油醸造業を営む濱口梧陵(ごりょう)さんの史実に基づいたお話です。(多少、違う部分もあるようですが)
この濱口梧陵さん。
なんと!ヤマサ醤油7代目の当主として知られています。
1854年、安政南海地震の際、実際に田んぼに火をつけ9割以上の人を助けた人物として名を残しています。
追記
大地震を予知した今村さん!
さらに、地震を研究すると、関東で大きな地震が起きた時は、南海地方でも大きな地震が起きる事に気が付くのです。
そこで、政府に地震の揺れを記録する観測網を南海地方に作るよう直訴します。しかし、今村さんの考えはあてにならないと却下され、予算を組んでもらえませんでした。
今村さんは考えます。
「一人でも多くの命を救いたい!関東大震災の二の舞だけはさけなければならない。」そこで、講演会で手にしたお金(私財)を用いて、自分のお金で観測網を作るのです。
しかし、戦争の時代となり、今村さんの声に耳を傾けらる環境ではなくなってしまいます。1946年、予知どおり南海地方に大きな地震が起きてしまうのです。
今村さんはラジオの前で立ち尽くしていたそうです。
今村さん
「みんなの命を救うために一生懸命頑張ってきたが、自分の活動は無に等しかったのではないか?」 しかし、ある一通の手紙が今村さんの元に届くのです。
町長
「今村さんの意見を忠実に守っていたおかげで、津波に流される町民は一人もいませんでした。感謝を捧げます。」
今村さんが願っていた事。
それは日本人に防災意識を根付かせる事!
今村さんの願いを感じとらねば
著者出川 雄一(ツイッター) 障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。
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