早稲田大学の創立者として知られている大隈重信さん。なんと、学生時代から文字を書かなかったというから驚きです。
何故、文字を書くのをやめてしまったのでしょうか?
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これは重信(八太郎)が佐賀藩の学校に通っていた時のお話です。(7歳から18歳まで弘道館という藩校に通っていました)
成績が優秀で文字を書かせても凄く綺麗!
13歳から14歳で進級する所を、わずか10歳で進級した秀才肌の持ち主でした。
しかし、クラスメートに綺麗な文字を書く人がおり、どうしても勝つことができません。重信(八太郎)は負けず嫌いな性格でしたので、悔しくて悔しくて仕方がありません。
そこで大隈さんはひらめくのです。
「あっそうだ!文字を書かなければ勝ちとか負けとか関係ないや」と考え、生涯文字を書かなかったと伝えられています。
ある時、相良大八郎という人物に代筆を頼みました。相楽は重信が機嫌の良い時を見計らって、わざと二文字の空白を作り重信に書かせようとしたのです。しかし、子供の頃の誓いを忘れていなかった重信は、筆を持ったものの結局置いてしまったそうです。
脚気を伝染病だと死ぬまでいいはった森鴎外といい、昔の人は頑固者が多かったのですね
著者出川 雄一(ツイッター) 障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。
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