一説によると552年頃、呉(中国)という国から医書が日本に渡ってきました。その中に、”鍼灸明堂図” という鍼灸の書物も入っており、ここから日本の鍼灸がスタートしたのではないか?とされています。
その後、遣隋使や遣唐使の派遣により、本格的な技術が日本にもたらされたと考えられています。
「ええ?遣隋使ってなぁ~に? 遣唐使?」
はい^^ 昔むかし、中国大陸に隋という国がありました。この隋は東アジアの中で、最も文明が発展していた地域でしたので、頭の良かった聖徳太子はひらめいてしまうのです。
聖徳太子
「この技術を、日本に導入させたいなぁ」
600年、聖徳太子は隋に使者を派遣します。しかし、外交の儀礼がまったくわからず、国書すら持たずに隋へ行ってしまったために、「野蛮な人間が来た・・・」 笑われてしまうのです(><)
そこで登場したのが、しっかり者の小野妹子です。
聖徳太子が、「十七条の憲法」や「立派な宮殿」などをつくり、「日本は凄い国なんだぞ!」と体裁を整えてから、再び小野妹子を隋に派遣させるのです。
隋や唐に派遣を送った事で、様々な技術や文化などが日本にやってきました。
そして、伝わった技術の中に、詳しい内容の鍼灸技術などが含まれていたのではないか?と考えられているのです。
著者 出川 雄一(ツイッター) 障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。
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