お玉さんでしたo(*¨*)o
大人電話相談室♪
子供、「先生~ 玉の輿の玉って男性のタマタマの事ですか~?」
安田、「そ・・ それわァァ お・・ 大人になってから教えてあ・げ・る・ぅぅ」
玉の輿の玉は、美しいものすべてを玉と表現していたそうです。宝石なども玉と表現されていました。一方、玉の輿の輿は、貴人を乗せる乗り物です。
江戸東京博物館のチラシ
もともと、「美しい人を乗せる乗り物」という事で、玉の輿といわれています。これが転じて、身分の低い女性が身分の高い男性と結婚し、富貴の身分を得る事を、「玉の輿に乗る」と言われるようになったそうです。
一説によると、玉の輿の玉とは人の名前が関係しているのではないか??このような説が存在していました。その人物こそが、今回の主人公であるお玉さんです。
お玉さんの何が凄かったか?
実は、八百屋の娘でありながら徳川家三代将軍の家光の側室になり、後に五代将軍綱吉を生んだ女性だったからです。 つまり、大根売りの娘だったお玉さんが、綱吉の本当のお母さんになるのです。
まさに、玉の輿に乗る事ができましたо(´▽`)о
もともと、女性嫌いだった家光さん。乳母である春日局から厳しく躾けられてしまったそうです。 これが原因で・・・ 女性に対する恐怖心を抱いてしまったのだそうでして(汗) 男性しか愛せない人間になってしまいました。
春日局
「これでは徳川家の子孫を残せないではないか・・・」
そこで、春日局は自身の養女に男装をさせ、家光に近づけさせる事により女性好きへと変身させていくのです。
一方、お玉さんは大根売りの娘として育ちましたが、お父さんが亡くなると経済的に苦しくなり、お寺へ奉公に出されることになるのです。しかし、ここからがお玉さんの玉の輿伝説が始まります。
父親が野菜を納めていた本庄家(下級武士)の養女になると、本庄家の紹介により、公家出身の尼僧の待女となりました。 この尼僧!後に物凄く出世をする事になるのです。そのお礼にと、家光へ挨拶をする事になるのですが・・・
家光はこの尼僧に一目ぼれをし、なんと側室になってしまいました\(^O^)/ 当然、尼僧の侍女だったお玉も江戸に残る事になり、やがて家光の目に留まり側室となるのです。(19歳)
お玉が綱吉を生んだのは20歳の時でした。
しかし、この時点で家光には二人の男児を授かっており、三男の綱吉には将軍になるチャンスはほとんどありません。
「自分の息子は将軍にならないんだろうなぁ~」と思っていたら・・・
長男である四代将軍の家綱が病死、二男の綱重もなくなっている事から、五代将軍として綱吉が実権を握る事になるのです。
大根売りの娘だったお玉さん!なんと、将軍のお母さんになってしまったのです。玉の輿の玉は、お玉さんから来ているのではないか?という説も存在しているのです。
タマタマではなかったんだぁ(*/▽\*)
著者 出川 雄一(ツイッター) 障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。
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