今回の雑学は、定年退職を迎えたおじ様たちへのメッセージ!
もうひと花咲かせてみせませんか?年を重ねても情熱をもって生きてみませんか?という事で、このレポートを捧げたいと思います。
田中久重(1799 - 1881)さんです。
アンティークファンの方ならばご存知のはず!
「東京電気株式会社」(藤岡一助らが設立)と
「芝浦製作所」が合併してできたのが東芝です。
この芝浦製作所を設立したのが田中久重さんです。しかも、芝浦製作所の前身である、田中製造所を設立したのが73歳というから驚きです。
上の動画に注目です
なんとビックリ!動かないはずの人形が矢を放ったではありませんか・・
これこそが、日本でもっとも有名なからくり人形である「弓曳き童子」です。(田中久重の代表作)
「自分は長男だけど、やりたい事があるので家を継ぐことはできない・・・ どうか次男に次がせてください。」
9歳の頃から発明家を志していた久重さん。
10代の半ば頃には、町内でその才能が知れ渡る事となっていました。 からくりは斬新なアイデアが必要ですが、そういったアイデアを次から次へとクリアしていくのです。
40代の後半には西洋の時計に興味を示し、50代になってもその興味がいっこうに衰えません!そして、久重の持っている知識を全て注ぎ込んだ作品こそが万年時計です。
万年時計
久重の作った万年時計の素晴らしさに注文が殺到します。
しかし、久重さん!
「金儲けのためにこの時計を作ったのではない!ヨーロッパの文化と日本の文化を融合した万年時計が大衆文化に根付けばそれでよい」 このように思っていたそうです。
時代は江戸から明治へと流れます。
しかし、60代になった久重の情熱は衰える事無く、「今度は世の中のためになるものを開発しよう」と考え、「製氷機器」・「自転車」・「人力車」などを開発しました。
そして、73歳の時、なんと東京で事業を起こしてしまったのです。
政府は久重の才能を認めており、国のために会社を興してくれないか?と打診されたそうです。これが「田中製造所(後の初芝製作所)」という会社となります。
久重は80代になっても、
その探究心は衰えなかったと伝えられています。
久重さんの言葉
「知識は失敗より学ぶ。事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に成就がある」
年齢別の自殺者数。圧倒的に多いのが60代以上の高齢者の方々です。新しいことにチャレンジするという事は、「志」・「勇気」・「忍耐」がカギになるのかもしれません。
著者 出川 雄一(ツイッター) 障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。
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