家康は秀吉を反面教師にしたようです。
秀吉が亡くなる前、部下に対して情を用いて豊臣家の安泰を願っていました。しかし、関が原の戦いで家康が勝利を収めると、豊臣家の力が次第に低下。1615年に滅ぼされてしまいます。
家康は考えます
「私が死んでも徳川家が永遠に栄えるよう、組織の力で国をまとめなければいけない。豊臣家があれだけ抵抗できたのはお金があったからだ!まずは他の大名の力を削がなければならない」
[ad]
そこで、各大名がお金を稼ぐ事を恐れ、「大きな船で貿易を行っちゃいけませんよ。大きな船を所有するのは謀反を起こす表れだ!」と命令を出すのです。家康の力は大きく、どの大名も逆らう事ができませんでした。
やがて幕府が貿易を支配するようになり資金力を手にします。
次に目を向けたのがキリスト教です。
ポルトガルは各国を植民地化するためにある戦術を用いていました。 それは、キリスト教を各国に普及させ、信者が増えた所を見計らって謀反を起こさせて、国を支配していたのです。
この事実を知った家康は
「貿易を制限してでもキリスト教を阻止しなければならない!」と考え、一部の国を除き貿易を禁止しました。
その他、武家諸法度という決まりを設け、「この法律を守らないと領地を没収しますよ!」と定め、少しでも謀反の恐れがある大名を排除していくのです。
家康の見せしめで、40人もの大名が犠牲となり、それを恐れた他の大名も、「家康に逆らうとお家が潰される!」と感じ、ご主人様と部下との関係を確立させていくのです。
この考え方が二代将軍秀忠。三大将軍家光に受け継がれ、徳川家の力が増してゆくのです。
著者出川 雄一(ツイッター) 障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。
コメント